2010年、29年ぶりに常用漢字が改訂されました。 追加された字を見ていくと、いくつかの方向性が見えてきます。 都道府県名 「阪」「阜」「埼」などが追加され、47都道府県が常用で表記できるようになりました。
大阪、奈良、山梨、栃木、茨城、岡山、静岡、福岡、岐阜、
「分」の読みに「いた」が追加されているので何事かと思いきや、大分県のためでした。 この他(ほか=この読みも今回常用入り)、地名の表記では、近畿地方、鎌倉も入り、お隣の韓国も常用で表記できるようになりました。
那と須が入って「那須の御用邸」も常用表記になりました。 身の回りの漢字 「袖」「丼」など身近な言葉の字が大量に常用入りしました。
袖、裾、膝、肘、股、脇、頬、爪、眉、尻、喉 |
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これまで「お風呂」や「お箸」が常用で書けなかったんですね。今さらながら驚きです。
丼、鍋、麺、串などは一歩町に出ればまさに「常用」です。
「煎茶」はもちろん、「お煎餅」もめでたく常用入り。
次の改訂では「饅頭」あたりが格上げかも。
巾もこの流れからでしょうか「布巾」「雑巾」、それとも「巾[幅]1メートル」を考慮してでしょうか。喉が入ったのは下記の医学関係からでしょう。
医学関係
「潰」「腫」「脊」など医学関係の字も大量に常用漢字入りです。
胃潰瘍、脳腫瘍、脊椎、脳梗塞、腎臓、耳鼻咽喉科、
骸骨、頭蓋骨、唾液、乳腺、顎、斑、鬱
斑は「死斑」か、それとも「紫斑」かと思いきや、文化庁のサイトで公開されている資料の例は「斑点」でした。
「憂鬱」の鬱も今回常用入りしました。この字を覚える学習者はまさに憂鬱でしょうが、これは下記に挙げる「うつ病」のような「まぜ書き熟語」対策が主目的かもしれません。
まぜ書き熟語
一般の人や企業では常用漢字表に沿って文書を書くことはまれでしょう。
しかし、官公庁や朝日新聞などの大手一般紙、NHKの字幕などは常用に沿った表記が行われています。日本語教育界も律儀に常用表記を実践している典型的な例です。
この結果、「破たん」「隠ぺい」のように熟語の相手をかなで書く「まぜ書き熟語」がでてきます。今回の改訂ではこれをなくす方向性が明確に感じられます。
破綻、隠蔽、補填、比喩、戦慄、辛辣、詮索、語彙、軽蔑、
緻密、自嘲、凄惨、真摯、苛酷、萎縮、完璧、溺死、払拭、
洞窟、危惧、未曽有、羞恥心、一蹴、貪欲、汎用、氾濫、
旺盛、肥沃、羨望、全貌(美貌?)、進捗状況、堆積、斬新、
罵声、明瞭、謙遜、親戚、傲慢、勃発、訃報、翻弄、喝采、
貪欲、椅子、臆病、玩具、僧侶、挫折、捻挫、頓挫(無頓着?いやいや整頓か)
また、時代を反映してでしょうか、
拉致、失踪、覚醒剤、拳銃などがおもしろいところです。
このほか、淫行(淫乱?)、爪痕(血痕/弾痕?)などもご時世でしょうか。
淫に関しては、「生徒にどうやって教えればいいのか」と、教育関係者からだいぶ反対があったようです。成人相手の日本語教育と違い、子供相手の国語教育では一大事でしょう。
近年多くの地方自治体で未成年者との淫行を禁じた「淫行条例」なるものが制定されました。
後述の錮、賂、勾、毀などを見ても、今回の改訂には法務省筋がかなり頑張ったようです。
謎なのは(謎もめでたく常用入りです)「妖」の常用入りです。
「妖怪」は日本経済再生の切り札「アキバ系アニメ」の世界では必須アイテムですが。
「艶」も入って「妖艶」も常用表記。これも国語の先生には悩ましいことでしょう。
謎といえば、もう一つ、「凄」。
この字は常用入りしましたが、読みは「セイ」のみ。「すごい」は常用外。
小説などを別にすれば、「すごい」の方を頻繁に目にします。
どうせこの字を入れるのなら、なぜ「すごい」を外したのか、理解に苦しみます。
単独でも使われるし、熟語でもよく使われるものは、
間隙、痩身、僅差、爽快、捕捉、叱責、呪縛、嗅覚、山麓、剥奪、牙などです。
牙が常用に格上げされました。今さら象牙でもないでしょうから、牙城か、はたまた毒牙か、と思いきや公開資料の例は象牙でした。
すでに広く用いられているもの
公文書や日本語の教科書などは別とし、単漢字として一般に広く使用されているものも常用入りしました。
誰、頃、宛、貼、狙、謎、俺、賭、崖、嵐、遡
虹、餌、柵、匂、諦、旦、闇、芯、瞳、憧
日本語教育関係者にとって「誰」「頃」は、後述の「私=わたし」とあいまって、まさに9回裏2死満塁の大ホームランといったところでしょうか。
動物
動物の漢字もいくつか常用に入りました。
熊、鹿、鶴、亀、蜂、蜜、虎
イヌ、ネコ、クジラと、動物界ではカタカナ表記が主流のご時勢ですが、
「鶴」と「亀」はやはり漢字か。
伝統・歴史
歌舞伎、浄瑠璃
これらは、まさか今まで「まぜ書き熟語」で表記していたわけではないでしょうから、今さら入れる必要があるのかなとも思います。
伝統芸能ですから、なまじ常用漢字表などに載っていない方がかえってハク(箔)がつくような気もします。
この流れからでしょうか、「お唄のお稽古」も常用入りを果たしました。
「弥」が常用入りです。「元の木阿弥」や「阿弥陀仏」ではなく、「弥生時代」の表記が目的のようです。確かに、「元の木阿弥」が目的なら「滑稽」ですね。
今回「鎌」も常用入りしたので、旧石器時代から始まり、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山と、日本史の歴史年表が一通り常用表記になりました。
「錦」「瓦」なども気になるところです。
公開資料には例として「錦秋」が挙げられていますが、私のような俗人は、すわ錦鯉か、いやいや「鯉」が常用外なので錦の御旗、故郷に錦を飾るかなどと思ってしまいました。それにしても錦秋で常用入りとは。
「瓦」も「煉瓦(レンガ)」かと思いきや「煉」が常用外、「瓦礫(がれき)」の「礫」も常用外。まさか「東京瓦斯(ガス)」じゃないでしょうから、「カワラ」と「瓦解」で常用入りを果たしたようです。
その他
「葛藤」が入って、加藤さん、佐藤さんも安心して使えるようになりました。
「嫉妬」「曖昧」「挨拶」も揃って常用入りです(揃は今回モレました)。
挨拶などはひらがな表記に慣れてしまっている小生にとっては漢字で書くと何か堅苦しく聞こえます。個人的にはこれからもひらがな表記で行こうかと考えております。
「酎」「舷」これなどは関係者への配慮からでしょうか。
酒飲みの私には焼酎は朗報ですが、右舷・左舷以外に使い道のないであろう「舷」はどの筋への配慮なのか、気になるところです。
第1次試案では「賄」が入っているのに「賂」がありませんでした。
「収賄・贈賄」だけで肝心の「ワイロ」はどうするのかと思っておりましたが、
第2次試案では「賂」も入り、「賄賂」で当確しました。
第2次試案で追加され、当確したものは下記の9字です。
柿、哺、楷、睦、釜、錮、賂、勾、毀
「禁錮」「勾留」「名誉毀損」などは法務省の意向が強く反映されたようです。
「禁固/禁錮」「拘留/勾留」は法律用語では別なんですね。はじめて知りました。
なお、第1次試案では追加候補で、結局外れたものは下記の4字です。
聘、憚、哨、諜
最後に-雑感
前にも記した通り、常用漢字に沿って表記している人たちは非常に限られた範囲で、官庁、大手一般紙、NHK、教育関係などです。
新聞にしても日経など経済紙になると朝日ほど常用を意識していないようです。
当然といえば当然で、常用など意識していたら経済記事は書けません。
今回常用入りした「汎用品」「損失補填」などはこれまでも日常的に使われてきました。
ビジネスの世界では「進捗状況を報告しろ」など日常語です。
ラーメン屋さんや串かつ屋さんなどに至っては常用漢字など意識していては看板一つ出せないでしょう。
小説や週刊誌なども同様です。
文春などを読んでいると、記事を書いている文筆業の方々にとっては常用漢字表など「屁」のようなものだろうなと感じます。
さて、では日本語教育はどうでしょうか?
今回常用入りした漢字の多くは漢字学習の上級レベルで扱われるものだと思います。
医学関係や伝統・歴史、地名に分類される字はあえて教える必要はないでしょう。
「まぜ書き熟語」対策の中で関係がありそうなものは「親戚」「挫折」「軽蔑」「謙遜」などでしょうか。
初級・中級の学習者にとって実用的なものもいくつかあります。
「風呂」「宛名」「鍵」、あるいは「丼」「麺」「鍋」などです。
丼、麺、鍋などは学習者が自ら使用することは稀でしょうが、日常生活では頻繁に目にすることでしょう。
日本語教育にとって一番影響が大きいのは、「私」に「わたし」の読みが入ったこと、「誰」「頃」が入ったことでしょう。
多くの日本語教材が「わたしは・・・」と「私」をかなで表記していますが、これも現在の常用漢字表に「わたし」がなかったためと思われます。
現実の社会では「私(わたし)」が「常用」ですから、教科書と現実のかい離が一つ減ります。(乖は今回モレました・・・当然か)
「誰」「10時頃」も同じです。
多くの市販教材では「だれ」「ころ/ごろ」とかなで表記されていますが、現実の社会では漢字表記が一般的です。
また、「描く(えがく)」の読みに「かく」が追加されました。これは日本語教育の現場には悩ましいところです。
昔の教科書では「絵をかく」とかな表記が一般的でしたが、最近ではアッサリ「絵を書く」としたものも登場してきています。
「漢字を書く」「絵を描く(かく)」と使い分けをする必要があるのかどうか。
「他(た)」の読みに「ほか」が追加されました。
これは現実的です。メール等では「他の日」「他の人」など日常的に使われ、これは「たのひ」「たのひと」ではないでしょうから。
常用とは関係ありませんが、近年の中級教材で一般化している「とき」「ほう」のかな表記も気になります。
「雨が降ってきた」のように「後続句・パターンはかな表記」ということでしょうが、実社会では「先方に会った時」「今週より来週の方がいい」と漢字表記が一般的です。
常用漢字の改訂を機に改めて考えてみると、果たしてどこまで「常用漢字表」を尊重すべきか考えさせられます。
一般的な機器(WindowsやMAC、あるいは携帯機器)で使用できる漢字はJIS第1水準とJIS第2水準ですが、これだけも 6,355字あります。
自治体や出版社などで使われる第4水準まで含めれば 10,050字に上ります。また、広辞苑に収録されている項目は24万を超えます。
この中からたかだか2,000字を選ぶわけですから大変です。
今回の改訂に伴い、「挨拶」や「元旦」のように使用頻度は高いが造語力に乏しいものは別表とする案もあったようです。
各界の専門家のみなさんが多岐に渡り(亘り=常用外)、喧々諤々の議論をされて制定される「常用漢字表」ですが、多かれ少なかれ「妥協の産物」的なもの、「折衷案」的なものにならざるを得ないでしょう。
そう考えると、日本語教育も律儀に常用漢字表に縛られる必要はないのかもしれません。
むしろ、現場教師の目で実社会を丁寧に観察し、学習者に利益があると判断したら常用外でも採用していく、それが一番大切なことかなと感じます。
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